岩手県立大学社会福祉学部 准教授 菅野道生氏 インタビュー
菅野氏へのインタビューは2020年7月30日に実施しました。
菅野氏のご経歴*1としまして、2004年3月に明治学院大学社会学研究科社会福祉学専攻修士課程を修了しました。職歴としまして、2002年4月から東京ボランティア・市民活動センター(東京都社会福祉協議会)にて相談担当専門員として2010年3月まで従事、2010年4月から東日本国際大学(福島県いわき市)、2012年4月から岩手県立大学にて勤務されています。東日本大震災発生後は、福島県内や岩手県内の復興活動への支援に取り組まれました。
インタビューでは、東日本大震災発災後の復興支援活動に菅野氏が携わる中で、被災者支援を行う際に必要に感じたことや、支援者間の関係構築や連携した取り組み事例についてお話しいただきました。
今回はインタビューの中から、災害時の社会福祉協議会(以下、社協)の役割、地域支援に関わる人材のスキル向上の必要性についてお話しいただいた内容を抜粋して紹介します。
災害ボラセンを誰が運営するべきか
災害ボランティアセンター(災ボラ)の運営を社協が担うことについては、以前から様々な議論があります。例えば「社協は災害ではなく福祉の専門なのだから、災ボラ運営はNPO・NGOに任せ、社協は生活支援に専念するべき」という意見があります。その一方で「NPO・NGOの多くはいずれ地域から撤退するが社協はずっと残る。『地域主体』の原則からも、復興プロセスにおいて個別の生活再建や地域再生に関わり続ける社協が災ボラを担うべき」といった意見もあります。どちらも一理あると思います。私自身も過去の災ボラの実践のなかで社協にもNPO・NGOにもそれぞれに得意なことや不得意なことがあることを実感しています。
社協は地域によって組織体制や規模・災害対応の経験スキルに大きな差があります。過去の災害でも、外部の応援を得ながら上手に災ボラが運営できる社協もあれば、それがうまくできず地域や住民に地域内外の支援をつなぐことができなかった社協もありました。一方で、社協が持つ住民との関係性や地域組織等との強固なパイプを持たない、あるいは福祉の専門性が低いNPO・NGOが「お祭り」のような一過性の災ボラ運営で地域を混乱させ、その尻拭いを社協がする、といった場面もありました。もちろん社協やNPO・NGOも含め様々な主体が協力して素晴らしい災ボラの活動を作り上げた事例も数えきれないほどありました。
要するに、災ボラ運営の中心を誰が担うのかについてはケースバイケースとしか言いようがありません。繰り返しになりますが社協にもNPO・NGOにもそれぞれ強みと弱みがあります。また社協もNPOも、その力も地域や団体によっていろいろです。さらに言えば災害もその種別や規模も様々ですあることを考えても、一般原則として「災ボラは〇〇が運営すべき」という風に限定しようとする議論にはあまり意味がないと思います。
重要なことは、被災した人や地域の最善を確保するために、ボラセンに集まった多様な主体が持つそれぞれの強みを生かし合い、弱みを補い合う「協働」の関係性と仕組みのもとで災害ボラセンが運営されることです。社協が持つ福祉の専門性、NPO・NGOの持つ災害支援やコミュニティづくりの専門性が、それぞれに最大化される協働の関係性と運営の仕組みが、被災した人と地域の役に立つ災ボラの条件といえます。
生活支援相談員の活動について
生活支援相談員(以下、相談員)の活動についてもいくつか感じることを述べておきたいと思います。相談員の初期の活動は戸別訪問による被災者の安否確認とニーズ収集、制度や支援へのつなぎ、そしてサロン活動の運営等が主な内容になることが多いと思われます。当初、これらの活動には必ずしも高度な専門性が必要とはされませんでした(もちろん実際には非常に高い専門性が求められる場面もあるのですが)。実際に、多くの被災地で少し前までいわゆる「素人」だった人が緊急雇用等の枠組みのなかで相談員として雇用され、基礎的な対人援助のトレーニングを受けながら支援活動に従事しました。活動初期においてはこうした「半分支援者、半分住民」という相談員の立場が、被災した人と「ともに歩む」支援のなかで、大きな強みになったと思われます。
しかし、地域支援や生活再建支援のニーズが出てくる段階になると、個別世帯のアセスメントやコミュニティ形成支援等、非常に高度な専門性やスキルが求められる場面も増えていきます。特に個別支援を中心に担ってきた相談員さんたちにとっては、地域支援は難易度が高く感じられることが多いようです。復興が進むにつれて相談員の活動も地域支援の比重が高まっていくなかで、相談員の地域支援のスキル不足が課題となっている社協は少なくありません。
ただしこの課題は個々の相談員のスキルの問題だけに帰すことはできません。なぜならば、個別支援と地域支援を一体的に進めていくためには、個々の相談員が頑張ればどうにかなるものではなく、チームや組織、あるいはシステムとしての総合的な実践力が求められるからです。
例えば、相談員が地域で住民から「地域でサロンをやりたい」という声を受け止めたとします。ここですぐに相談員は「いいですね、ぜひやりましょう」といえるかというと、そうでないケースの方が多いと思います。なぜなら個々の相談員には支援に関する意思決定の権限がないことがほとんどだからです。個別支援では、訪問して相手の話を聴き、必要に応じてしかるべきつなぎ先につなぐことが基本です。しかし、地域支援においては、住民をはじめとした多様な地域の主体と様々な連絡調整をしながら実践を進めていくことになります。こうした地域における多様な主体との連絡調整を図っていく上では所属する組織を代表するある種の「権限」が必要です。しかし現状では、ほとんどの場合そうした権限が相談員に与えられておらず、相談医としては「持ち帰って上司に相談する」という形で対応することになります。
しかし組織内で「上」に挙げたとしても、組織自体が地域支援に対して意識が希薄な場合、相談員が挙げた地域のニーズも「棚上げ」や「塩漬け」になってしまいます。
よりよい地域支援を進めていくためには、相談員が地域で把握した様々なニーズ(個別・地域問わず)を、組織内でしっかり吸い上げ、権限を持った職員が仕分けし、外部との連携協働も含めた支援を総合的に展開していく組織的な体制が必要なのです。要するに、組織として個別支援と地域支援を一体的に展開する体制がなければ、いくら個々の相談員や職員がスキルを磨いても、実際の支援はうまくいかないということです。
そのためには、例えば、ある程度の権限をもったダイレクターを小地域単位で配置し、相談員によるアウトリーチで把握されたニーズを地域と組織との間でマネジメントするミドルマネジャーを置き、全体の司令塔として機能させるといった工夫が求められます。
岩手県内の沿岸社協は、震災前は、職員数名ほどの組織規模で、介護保険制度事業や老人クラブや民生委員等の団体事務、共同募金の活動等をメインに取り組んでいたところがほとんどでした。その意味で、今でいう地域支援の仕事はあまり取り組まれてこなかったといえます。震災が発生し、緊急期の次の段階で被災者に対する地域支援が必要になり、そこで一から地域支援に取り組むこととなった社協も多かったと思います。その意味で、震災を経てはじめて組織として地域支援に取り組む必要性に迫られたとも言えます。そしてその取り組みを最前線で担ったのが相談員さんたちでした。
あと数年で、被災者支援施策としての生活支援相談員事業は終了する見込みです。各社協には、相談員活動のレガシーとして、地域支援の視点とスキルを組織的な仕組み・文化として実装できるかどうかが問われているのではないでしょうか。
また被災者支援活動を通じてスキルを積んだ相談員には、事業が終了しても社協や地域福祉の現場で活躍してもらえるような仕組みも考えていく必要があります。そうすることで、災害時から平時まで被災者支援に関わる人材の裾野が広がることになると思います。
菅野先生へのインタビューから、社協の活動として、災害時に災害ボランティアセンターの運営全般ではなく戸別訪問で把握した被災者ニーズの中で福祉に関することに取り組むという専門分野に専念すること、平時から地域支援の取り組むことで災害時にもノウハウを活かすことができることなど、専門分野のスキルを活かす重要性をお話しいただきました。
*1:岩手県立大学教育研究者総覧 菅野道生
- 投稿者: 311kaerukai
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